HOME > みんなの声 > 先生のコラム > 鍼灸医学と病理学の接点を求めて-その3.脾胃(土)中宮
鍼灸医学の「蔵府論」を現代医学の「臓腑論」の基準で観てしまうと、大変な混乱が起ることになる。何しろ観点が全く違うのであるから、違う尺度で違う尺度のものを測る…長さを重さの尺度で測る…ようなものである。 私は学生の頃から陰陽論や五行論について、読めば読むほど訳が分からなくなってしまうので大嫌いになってしまった。後に『易経』を学ぶことによって「象徴的な概念」というものが理解できるようになり、「尺度の違い」がわかるようになってきた。陰陽五行論の論文の混乱は、書く人がその尺度を示していないからなのであった。 とはいえ「心」だの「腎」だのと現代医学で用いる「臓腑名」が出てくると結びつけたくなるのが人情というものである。もとはといえばオランダ医学が輸入されたときにその訳語に概念の違う中国医学の「蔵府名」を当てたのだから、後から学ぶ者にとっては同じ名前のものは概念も同じだと思うのは当然である。 …さてここまでの記述で「蔵府」と「臓腑」とが書き分けられていることに気づいていらっしゃるだろうか? 尺度の違いとはこういうことでもある…。 さらに面倒なことに同じ五蔵の「五行論」にも違いがある。ひとつはお馴染の「相生相剋関係」を論じる「五行論」と、『易経』をもとにする「五行論」は「四象」+「太極」の「五」である。『難経』はこの立場をとっているので、「相生相剋関係」の「五行論」がすべてだと思っていると混乱してしまう。 しかしいずれにしても鍼灸医学の概念は「象徴」に基づいている。「象徴」について掘り下げたのが心理学者のユングである。ユングはまた『易経』に非常な関心を抱いていたという。 ユング心理学者…当校の心理学担当の関修先生の師でもある秋山さと子先生は、その著書『占いとユング心理学』(1996年、KKベストセラーズ)の中で「ユングは『易経』の考え方が、自分の「元型」の考え方と共通するということで、非常に興味を抱いた。「易」の中には人間の心理的な基本がすべて含まれているということである。」と述べておられる。 私は一時ユング心理学の「元型」と「易の八卦」の共通点を調べることに夢中になった。それはまた私がずっと気になっている神話や伝承の世界に分け入ることでもあり、それらの示す「象徴」を確認することでもあった。 結論を言えば、2004年に伝統鍼灸学会で発表した「鍼灸理論と『易経』その3」の中で、副題である「象徴としての、坤土、命門、グレートマザーは同じものである」に集約されるのであるが…。 話をもとに戻そう。前回までに受精卵が「桑実胚」から「嚢胚」まで進化する過程に触れたが、ここで内側にくびれて陥没した内細胞層が「原腸」という消化管の原基である(図1)。 そして「内臓はここから始まる」といっても過言ではない。 図2は、ヒト胎児の腸管とその将来の進化する臓器を示したものである。消化管といってもそれは図3にあるように、進化の過程では肺をも含むものなのである。 『内臓が生みだす心』(西原克成著・NHK出版)の冒頭はこんな話で始まる。 「心肺同時移植を受けた患者は、すっかりドナーの性格に入れ替わってしまうという。これは、こころが内臓に宿るということを示唆している。「腹がたつ」「心臓が縮む」等の感情表現も同様である。高等生命体は腸にはじまり、腸管がエサや生殖の場を求めて体を動かすところに心の源がある。その腸と腸から分化した心臓や生殖器官、顔に心が宿りあらわれる。」と。 現代医学では消化管は再生力の強い下等な臓器として躊躇なく切除する傾向がある。ところが鍼灸医学の「脾胃」は五行論の中でも別格な扱いをうけることがある。 例えば『難経』十五難では、「胃脈」の有無が健康度を測る尺度であり、脾者中州也(脾は中州なり)」、「胃者…主稟四時(胃は…四時をうくるをつかさどる)」といった表現で、他の四蔵の中心…というより土台にあるのが「脾胃」なのだ、という論理になっている。 図4は私が考えた五蔵と脾の関係を示す模式図であるが、西原先生の理論によって非常に「腑に落ちた」。 ヒトは消化管から始まり消化管に支配される動物なのだ。