卒業生紹介

卒業して1カ月で治療院を開業。
女性が抱える不調やトラブルを緩和したい。

吉野 庸子さん

あざみ鍼灸院 開業(千葉県茂原市)/2005年卒業

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卒業後は鍼灸院への就職を考えていましたが、条件に合う募集がなくて迷っていたところ、在学中にお世話になっていた先生の後押しもあって開業しました。準備期間は約1カ月で、実家近くの物件を探すことからはじめました。患者さんがリラックスできることを優先したかったので、いわゆる「治療室」の雰囲気が強くならないように心がけましたね。備品や小物などは医療業務用で統一するのではなく、イメージに合うものを自らお店で選び、観葉植物なども欠かさないようにしています。もちろん、開業の際には保健所の検査が入り、規定の項目通りにチェックされていましたが問題はありませんでした。学校で学んだ関係法規が役に立ちましたね。

どんな人に鍼灸を受けに来てもらいたいか考えた時に、頭に浮かんだのは主婦など30代以上の女性の方でした。私も同世代なので分かるのですが、この年代の女性は自分の体に掛けられるお金はそんなに多くありません。ところが、更年期障害をはじめ何らかのトラブルを抱えている方が非常に多いのです。そのため、県の鍼灸師会に入会して療養費を取り扱えるようにしました。療養費の対象になる疾患には制限がありますし、医師の同意書も必要になりますが、それがクリアできればあとは月末の書類の作成だけです。そこそこ大変ですが、患者さんのことを思えば問題ありません。

私自身、更年期障害でとても苦しみました。私は鍼灸で助けられましたが、中には鍼灸という手段があることを知らないまま苦しんでいる女性が多くいます。そのような方々に鍼灸を知ってもらい、少しでも楽になっていただきたいと思っています。患者さんは体が冷えている方が多いので、まず体を温める工夫をしていくことが中心になります。日常生活の中での体の温め方や、食生活の見直し、生活習慣の改善などのアドバイスもしています。大事なのは患者さんに遠慮をさせないこと。良いことも悪いことも何でも言ってもらえる雰囲気づくりです。施術を始める前に、じっくりとお話しを聞くことで、患者さんが何を望んでいるかを引き出すようにしています。

全力で闘っているアスリートへ
私も治療家として全力で応えたい。

鈴木 佐弥子さん

春風鍼灸治療院 開業(埼玉県草加市)/2008年卒業

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中学時代に水泳選手として全国大会に出場し、高校は地元にある水泳の強豪校に進学しました。しかし、毎日のように怪我や故障に悩まされ、その頃から鍼灸を受けていたこともあり、「高校を卒業したら鍼灸師になりたい」と考えていました。ただ、周りから「大学でスポーツを続けてからでも遅くないのでは?」とアドバイスされたこともあり、大学に進んでライフセービングを始めました。卒業する頃には日本代表に選ばれ、アジア大会で優勝。世界大会の常連にもなりましたが、鍼灸師になる夢はぶれることがなく、大学卒業と同時に関東鍼灸専門学校に入学しました。

免許取得後はスポーツ選手が多く訪れる鍼灸院に就職しましたが、ほどなくしてそこを辞めて、埼玉の実家を改装して鍼灸院を開設しました。当初は出張治療がほとんどでしたが、クチコミでいつの間にかスポーツ選手やバレエダンサーが訪れるようになったのです。ある女性のバレエダンサーは、一回の公演のためにもの凄いトレーニングを積むため、肉体がぎりぎりまで酷使されてパンク寸前でした。私自身もスポーツ経験者ですが、バレエの動きはまるで知らなかったので、バレエのDVDや書籍で調べて身体の動作を必死で勉強しましたね。その甲斐もあって、治療院に多くのバレエダンサーが訪れるようになり、トレーナーとしてバレエ公演に随行するようになったのです。

公演中は舞台の袖下に待機していますが、ダンサーは頻繁に足をつります。袖に引っ込んだ一瞬の間に鍼を打ち、また舞台に送り出します。幕が降りるまではスタッフやダンサーと一緒に、私も闘っていますよ。あらためて感じるのが、スポーツ鍼灸は「東洋医学」が大切だということ。身体を動かす観点から筋肉や神経の知識も大事ですが、「昨日から体がだるい」「今ひとつ気が乗らないので何とかしてほしい」と言われることもたくさんあります。そうした時、東洋医学の「気」を中心に据えた身体の診かた、ツボの取り方は非常に有効だと思います。私も在学中はあまり熱心ではありませんでしたが(笑)。最近は、関東鍼灸の先生と食事しながら東洋医学の話をしても、ついていけるようになりましたね。

48歳で企業を退社して鍼灸師に。
患者さんからの感謝の言葉は宝物。

岡本 昌克さん

なのはな鍼灸院 開院(千葉県茂原市)/2005年卒業

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大手電機メーカーで品質保証の仕事をしていましたが、今後の人生を考えた時に、「人の体を治療したい」という漠然としたイメージがありました。いろいろと調べる中で、東洋医学という世界を知り、当時48歳で会社を退職して関東鍼灸専門学校に入学したのです。この年齢で、家族を抱えながら学校に通い直すのは本当に大変です。収入も途絶えるので、できるだけ早く開業しなければと必死で勉強しましたね。その頃、ちょうど自宅も古くなったので、「普通にリフォームするくらいなら」と鍼灸院を併設する形に建て替え、卒業して免許の取得と同時に開業しました。

広告や宣伝は、周辺地域にチラシを配り、近所のスーパーに置いてもらいましたが、一番こだわったのがホームページです。ある統計では、鍼灸施術を受けたことがある人は、全国民の5%程度しかいません。全く知らない人たちに鍼灸をアピールするには実際に受けてくれた人を紹介すればいいと考え、「お客様の声」を作成しました。実際に、このページを見て来院してくださる方も結構いらっしゃいます。鍼灸院に来られる方は、「何をしてもだめで仕方なく来た」という方が多く、しぶしぶ受けてみると、「こんなにも体が楽になるのか」「いろいろな症状を変化させることができるのか」と驚かれます。これほど良いものがどうしてもっと社会に広がらないのか、という思いがいつもありますね。

鍼灸師になって良かったと思うのは、施術後に患者さんから「楽になった」「痛みが取れた」と感謝の言葉をいただいた時です。先日も、家の周りしか歩けなかった患者さんが、鍼灸を受けてからは旅行や山歩きができるようになったとお礼の手紙をいただきました。もちろん自営業の大変さもありますが、今は鍼灸の面白さを日々味わっています。例えば、一口に肩こりといっても10人いれば10通りの肩こりがありますし、患者さんはもっとも強く出ている症状を訴えますが、よくよく話しを聞いてみると、他にもたくさんの症状が出ています。そうした症状を全部引っくるめて施術できますので、患者さんから「体のあちこちが良くなっている。なぜこんなに治るの?」と尋ねられることもあります。私は、「ご自身の体が治しているんですよ」と説明していますが、鍼と灸という道具を使って、その人の体が良くなっていくスイッチを押していく、というのが私のイメージですね。

二人の力が数倍の効果を生み出す、
同級生と開業したカフェのような鍼灸院。

戸部 敦子さん・高橋 祐太さん

はり・きゅう 慈雨治療院 開業(千葉県 千葉市緑区)/2005年卒業

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戸部さん:私たちは関東鍼灸のクラスメイトで、私は卒業後に往診をしていて、高橋先生は鍼灸整骨院に勤めていました。実は、私が免許を取得した年に主人を亡くして、落ち込んで体調も悪くなっていたのです。その様子を見ていた高橋先生が「一緒に開業したい」と申し出てくれたのが開業に至った経緯です。現在、治療室は二部屋ありますが、二人で一人の患者さんを診ています。もちろん、いろんなタイプの方が来院されますので、相性によって私が前面に出る時もあれば、高橋先生が施術する時もありますが、基本的には二人で治療の方針を確認して、お互いの施術の効果を確認しながら行っています。

高橋さん:一人で開業すると、自分の行っている治療の効果がどうか、方針が間違っていないか、患者さんの応対の仕方なども確認できませんが、鍼灸師がもう一人いると客観的に見てもらえるので助かっています。現在、私たちの鍼灸院では、「経絡治療」のみを行っています。病気や体の不調を身体の中を巡っている「経絡のアンバランスの結果」として考え、鍼やお灸を使ってそのアンバランスを調整し、身体全体を整えていきます。人生の残された時間は限られています。たくさんの治療法を幅広く学ぶのも良いと思いますが、僕は残された時間すべてを使って、この経絡治療を深めていきたいと考えています。

戸部さん:鍼は「痛い」、お灸は「熱い」というイメージがあると思いますが、私たちは「痛くなく、心地よい」「熱くなく、温かい」気持ちの良い鍼灸を行っています。実際に施術を受けられると納得していただけます。そのため、もっと気軽に訪れてほしいと「カフェみたいな鍼灸院」をコンセプトにしています。また、患者さんとお話しする時に大切にしているのは、関東鍼灸で学んだ「気学九星」の考え方ですね。気学を学ぶことで、まず自分の「気の性質」を知ります。それをもとに自分を客観視することで、良い面はそのまま伸ばし、悪い面は工夫して修正できます。鍼灸師として長く続けるためには必要なスキルだと思いますし、そこまで教えてくれる学校は珍しいですよね。

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